//カンボジアと日本 相互協力の社会へ

カンボジアと日本 相互協力の社会へ

いよいよ来月に迫った、カンボジア初の日本人学校。文部科学省認可、そして日本人会の法人登録という我々邦人にとっても大きな成果をもたらしたカンボジア日本人会の手束会長が、 3月末で会長職を退任される予定だ。在留邦人の組織運営に尽力された25 年間のこれまでの歩みと、大きな山を越えられた今現在のお気持ちをお伺いした。

 – 日本人会会長としての長らくの任期、お疲れ様でした。

正式には、まだ退任予定です。4月初頭の日本人会総会で次の会長が選出されましたら退任となります。

– 任期中、様々なことがあったかと思いますが、一番ご苦労されたことは何でしょうか。

 それはやはり、日本人学校の立ち上げです。準備委員会の方でも初めてのことですから、試行錯誤しました。また、学校のためだけではないですが日本人会を商業省に法人登録しましたので、その手続きと開校準備を同時に進める難しさがありました。準備委員会の皆さんはもちろんそれぞれの本職がありますが、昨年の11 月に文科省の認可がおりるまでは準備委員会・大使館・大使をはじめとして全員で一丸となり、開校に向けての準備にあたりました。日本人学校準備委員会は、日本人学校運営委員会と名称を変えて引き続き学校運営に携わります。

– 先月までのお話でもあったように、やはり日本人学校設立が果たすべき大きな目標であったわけですよね。他の企画運営に関してはいかがでしょうか。

任期中、日本人会内のイベントに関しては従来のものをほぼ踏襲する形となりました。新しくBBQ 大会を始めましたが、料理教室も大変人気です。イベントは皆様とても楽しみにしてくださっていますし、参加者で盛り上げていけるものをもっと増やしていきたいですね。

現在は、広報を強化するためにホームページをリニューアルしています。日本人会では、年間行事計画が決定するとイベント情報を会員にメールで告知します。しかし、メールはあまり見ない人もいらっしゃいますし、告知対象が会員のみに限られてしまいます。盆踊りのような外部の方も多く参加するイベントもありますので、ホームページに記載してそのリンク先を発信していくという形で告知していきたいと考えています。海外からカンボジアのことを知る場合に日本人会やJICA をまず調べることが多いので、そういった意味でも有効ではないかと思います。

– 活動を広く知らしめることで、カンボジア 在留邦人や今後ビジネスを展開しようと訪れる 方に対しての認知度はますます上げられるでしょ う。  

今年度の法人登録や日本人学校設立を経て、 日本人会という存在はジャンルを越えた結束が 生まれていると思います。来年度以降は、どの ような展開を期待されますか。

日本人会会則には、在留邦人同士、邦人 とカンボジア人の親睦という目的があります。 様々なイベントによる交流は深まっていますが、 それだけでは解決しない問題が増えてきている ように思います。今後は、困ったときに相談し 合えるような日本人会になっていく必要があります。

そのためには、日頃から日本人会に入会する メリットをもっとアピールすることが大切だと 感じています。例えば、会員は日系レストラン で食事をするとお会計が割引になる、現在新し くしているホームページで広告の掲載や企業や 団体の情報発信をすすめる、等です。新しく会 員になられた方にも積極的に利用していただく ために準備しています。最近はそういった方面 に力を入れていなかったので、来年度からは全 面的に打ち出していこうと検討中です。

– いっそ、在住することが決定したら自動的 に入会するくらいの強さがあってもいいと思い ます。特に新規事業を立ち上げた方は、周囲と の繋がりが乏しいまま突き進んで挫折してしま うケースが非常に多いです。そしてカンボジア に対していい印象を持たないまま去ってしまう んですね。日本人会をはじめ様々な付き合いが あれば、もっとお互い助け合えるのではないか と思います。

カンボジアに長く住んでいらっしゃる方 と新しく来た方が協力して、日本人が住みやす いような環境作りをしていくことが大切ですね。 日本国内で例えて言いますと、町内会のような 顔見知りの関係というのは大きな力になります。 この大きなプノンペンという街で、できるだけ 日本人同士が知り合うようにするのが日本人会 の役割でもあります。そういう意味で年間のイ ベントは非常に大事なのですが、参加できない 方のためにも情報を交換でき、相談し合えるよ うな場が必要です。その取り組みはエネルギー が必要ですが、今後の課題です。

– 日本人会という広い枠の中に、更にまとめ やすい枠組みを設置することでお互いの顔が見 えやすくなるのではないでしょうか。同業種・ 飲食店同士など、争わずに同じ組合に所属すれ ば、盆踊りのような規模のイベントの活気や参 加度ももっと変わってくると思いますね。

カンボジアで活動を開始された1990 年代と いうのは、国内が非常に不安定な時期だったわ けですから相当なご苦労をされたことと思いま す。当初の環境はどういったものでしたか。

来訪した25 年前といったら内戦状態で、 状況的に一番大変だったのはやはり治安ですね。 当時時は戒厳令ですし武器もたくさん見かけま した。まだポル・ポトの力があり、毎晩どこか で鉄砲の音がしていました。街中に地雷がある かもしれない、そんな状況でした。

当時カンボジアのスタッフが一人いて、あら ゆることに耳をそばだてて相談しながら組織を 0から一緒に作っていきました。政府も社会も 大きく変動し、ハプニングが起こるのが当たり 前という大変さはありましたが、それを一緒に 担うカンボジアのスタッフがいたということは 心強く、苦労はあっても苦労と思いませんでし たね。昔は電話がないのでアポイントを取るの にも直接足を運ぶ必要があり、当日訪ねると人 がいない、なんてこともありました。当時の治 安や不便な状況ではそれが当たり前ですので、 日々スタッフと解決していきました。一緒に苦 労したことで生まれる信頼で乗り越えていけた のだと思います。  

これは、現在カンボジアに来ている方にも当 てはまります。スタッフが怠けていたとしても、 そこから一緒に作っていくのが起業する人の心 構えです。一緒に苦労し、一緒に成功を分かち合う、そういう意識でやっていかないと絶対に問題が起きます。

 – 今、そこを履き違えてる方は多いですね。人件費の安さや儲けのことばかりで、カンボジアの人達をどう見てどうしていきたいのかがないようです。

それから昔はおしなべて貧しかったので、 強盗はあっても引ったくりはありませんでした。 引ったくりのような犯罪が生まれるのは、格差 が出てくるからなのです。貧しい地域に行って も、ただチャリティで与えるのではなく自立・ 発展を目指します。社会が再び変わっていく中 で広い視野を持ち、カンボジア人自身が国作り を担っていくことについて日本人も考えさせな くてはなりません。

– 現在は仏教研究所にて仏教復興にご尽力さ れていますが、日本人会とはどういった形で関 わっていかれるのでしょうか。

私もカンボジアに住んで長いですが、他 の長くこの国にいる方々の経験や人脈をもっと 活かせるような場を設けたり、どこかに記録として残していきたいですね。