特定非営利活動法人 メインストリーム協会
林 光貴さん
Phnom Penh Center for Independent Living
Executive Director MEY SAMITHさん
– まず林さんの障害について教えてください。
私は17歳の時に頸椎を損傷した事が原因で四肢麻痺という障害が残りました。
– それまでは健常者だったのが突然障害者になってしまって、どのようにその現実を受け入れたんですか?
僕はすごくアホでポジティブなんですよ。確かに3日くらいは落ち込み込みました。テレビでよくある医者から「あなたはもう歩けません」みたいな宣告は無くて、看護師さんに「退院したら焼肉でも食べに行こうよ」ってナンパしてた時にその看護師さんが「いいよ。今は車いすでもどこでも行けるしね。」ってサラリと宣告されて、「あれ?」となった訳です。自分では一生歩けないなんて思っていませんでしたし、車いすなんて想像もしていませんでしたから。その瞬間に涙がこぼれてきましたね。一生歩けないという事を悟ったんでしょうね。そこから3日くらいは落ち込みました。母親や祖母も毎日泣いていました。でも俺まで泣いてても仕方ない。ポジティブに生きなきゃと思って3日後くらいには看護師に「車いすで行ける焼肉屋探しといて」なんて言ってましたね。
僕は自立生活センターという障害者団体で働いているんですけど、そこは様々な障害者を自立させる為にサポートするところで、そこで様々な障害者と会いましたけど僕みたいな障害者ばかりじゃないと思います。たぶん世の中のイメージ通りずっと落ち込んでいる障害者も見ました。外に出るのが恥ずかしいという人もいっぱいいましたし。
– 実際世間の目や腫物に触るような対応をされる事もあると思いますが、そういった事も気にされませんか?
今の仕事は障害者のイメージを変えるという仕事をしているんです。世の中の障害者に対するイメージってどういうものかというと、かわいそうとか思われているんじゃないかと思うんです。実際僕が健常者の時に障害者の事をどう思っていたかを考えた事があったんですど、障害者をいじめていたんです。それが中学生くらいの頃です。高校生になったらさすがに障害者をいじめる事はありませんでしたが、じゃあ障害者に対してどういうイメージだったかというと“無”。何とも思わない。電車に乗ってきたら煙たがるくらいです。それで今度は自分が障害者になった時にかわいそうとか思われてるんじゃないかと。で、この障害者のイメージってどういう風に付いたんだろうと考えたんです。それは全てではないと思いますが、メディアの影響というものが少なからずあると思うんです。
例えば24時間テレビで障害者が山に登ったりしてますよね。あれを見てそりゃ視聴者は感動すると思います。ただ障害者の映し方を考えた時、メディアはそれしか映さないですよね。でも僕みたいなアホなヤツもいます。賢いヤツもいます。それは障害者でも健常者でも一緒なんです。でもメディアは障害者が頑張っているところしか映さない。アホなヤツも平等に映せばいいと思うんです。そうすれば平等に見るんじゃないかなと思うんです。ああいう映し方ばかりするから障害者にかわいそうというイメージが付くんじゃないかなと思ってるんです。
実際僕は山なんて登りたくないですし、パチンコしときたいですし。こういう障害者もいるんです。もちろんいろんな障害者がいるんですが、メディアが美談になるように映そうとするから障害者はみんな頑張っていると思われますけど、僕は別に頑張らないし休みの日には寝たいし女も好きだしセックスもしたい。こんなこと当り前の事なんです。
– とはいえ林さんのようなタイプは珍しいんじゃないですか?
珍しい方ではないと思いますし、すぐに僕のようになると思います。
中途障害という途中から障害者になった人の場合、ポジティブだった人が障害者になったからといってネガティブになるのか、なるとしたらそれは社会が悪いと思います。障害者になっても当り前な健常者と同じ社会だったらネガティブにはならないと思います。そういう意味で今の社会は障害者にとっては生きづらい。それは健常者基準で作られた社会だから。
少し話が反れますが、未だに僕のおばあちゃんはいつになった治るんだと僕の足にオロナインを塗っています。「おばあちゃんオロナインじゃ治らないんだよ」って言ってるんですけどね。つまりおばあちゃんですら障害が治ってほしいと思っているんです。でも僕は障害者にしか出来ない仕事があると思っています。それは障害者の自立生活支援センターだったり障害者のイメージを変えるとか国と喧嘩してでもバリアフリーを訴えるなど、これらは障害者のためですから健常者が言っても仕方ない。そこは障害者が言わないといけない。
で何が言いたいかというと、例えば障害が治る薬があったとして飲みますか?と聞かれても僕は飲まないですね。今が楽しい。大げさに言えば障害者になって良かったくらいに思っています。微妙なニュアンスなんですが、障害者の方が良いとは思わない。それはやっぱり生きづらいから。普通の実生活が難しかったりしますから。
ではなぜ飲まないかといえば、この仕事がすごくやりがいがあると思っているから。めちゃくちゃ面白いんですよ。社会を変えていくというアホみたいな大きな夢を本気で叶えようとしてるし、叶うと思っています。具体的に言うと、僕は介助者をずっと使っているんです。介助者がいないとベッドに上がる事もお風呂に入る事も料理をする事も介助者がいないと出来ない。そんな中で介助者と仕事の事とか話したりするんです。そうするとそいつが賛同してくれたりするんです。賛同まではよくあるんですけど、お前と一緒に働きたいとまで言ってくれるんです。そいつがこの4月から社会を変える一人として一緒に働く事になっているんです。人ひとりの障害者に対するイメージを変える事は大変ですけど、変わった時、同じ思いの仲間が増えた時にめちゃくちゃやりがいがあるなぁと。ちょっとかもしれないけど、こういう風に社会って変わっていくんだろうなって実感した時、面白い瞬間でしたね。
– カンボジアと日本の障害者もやはり同じなんでしょうか?
僕が実際に感じた事ですけど、日本とカンボジアのバリアフリーだけで見たら日本の方が整っています。じゃあ心のバリアフリーはどうかというとカンボジアの方が心がバリアフリーですね。
僕個人の考えなので実際は分かりませんが、カンボジアでどこか店に行った時に障害者だろうがぼったくってくるんですよ。障害者に対してかわいそうとか無いんですよ。健常者と同じように見ている証拠ですよね。でもこれが日本で同じようにぼったくりの店に入ったとしても障害者だから止めておこうと思うと思うんですよ。でもカンボジアは関係ない。もっと良い部分で言えばカンボジアはハートフルで、階段なんかで止まってヘルプミーなんて言うとみんなが集まってきて助けてくれます。もちろん日本でも助けてくれる人もいますが、カンボジアに方が清々しさを感じます。
– するとカンボジア人との方が打ち解けやすいんでしょうか?
ですかね。でも僕はカンボジアでは生きていけないと思います。
それはなぜかというと、僕は日本では介助者を使っていますが、その介助者のお金はどうなっているかというと国から出ているんです。でもカンボジアではその制度自体がない。それは介助だけではなく車いすを作るにしてもそういう制度がないのでお金が出ないんです。
正確に言えば月に5ドルくらいは出るらしいのですが、1ヶ月5ドルで何が出来るんだと思いますよね。なので、お金が無い人は親に頼るしかない。その親にもお金が無ければどうしようもない。というのが現実なんです。
以前に田舎の方に泊まった事があるんですが、田舎だろうがどこだろうが障害者が生まれてくる可能性はありますから、国が違うだけで一生ベッドの上で死んでいくんだろうなと思うと悲しくなりますよね。
カンボジア人は障害は自分の問題だという意識が強いんです。だから制度がなくても仕方がないと思っています。でも社会の問題として考える事が出来れば社会が変わって制度も出来ると思います。なので、自分たちだけの問題だと思わずに社会全体の問題として考えて制度を作ってほしいです。
実際、障害者、障害者言ってますけど、バリアフリーになればみんな嬉しいと思うんですよ。例えば妊婦さんとかベビーカーとか動きやすくなりますし。みんな障害者になる可能性があるんです。あなただって帰りに事故って障害者になるかもしれない。そうなった時に障害者になったから人生終わりだなんて普通に考えておかしいでしょ。だからバリアフリーは障害者だけのためではないんです。
– 今後もし障害者の人と友達になった場合、健常者と同じ付き合い方や話し方で良いんでしょうか?
例えば僕は指が握った状態のまま動きませんけど、ドラえもんみたいだなんていじったって良いんですよ。障害を笑ったっていいんです。もちろん人によりますけどそれは健常者も同じで、ハゲをいじっても大丈夫な人もいれば怒る人もいるのと同じです。脳性麻痺で言語障害の人に何言ってるか分からないからもっとゆっくり喋ってくれって言っていいんです。「何言ってるか分からないからもういいわ」っていうのが良くないんです。いじっちゃダメだと思う事が差別なんです。だってなんで眼鏡はいじって良くて車いすはいじったらダメなんですか?眼鏡をかければ見やすくなるのと同じで車いすに乗れば動きやすくなるから乗ってるだけで同じなんです。
– 健常者に対して求める事はありますか?
今現時点では障害者の事を少し考えてくれるだけで良いと思っています。障害者も健常者と同じように当り前に好きな事をするし恋愛もするんだと。それくらいで良いと思っています。それだけで変わると思っています。
– ただ、考えるにしても何かしらきっかけが必要ではないでしょうか。実際身の回りに障害者がいなければなおさら。
なので僕は障害者の人全員に言いたいです。「街に出てくれ」と。「街に出て普通に遊んでくれ」と。僕は街に出る事が社会を変えるために仕事だと思っていますから。その点カンボジア人障害者は日本よりも環境が悪い中で、社会を変えようと頑張っている訳ですからスゴイと思います。
– カンボジア人障害者のパワーはどこから来るのでしょうか?
私はカンボジアも日本と同じような国になってほしくて頑張っています。実際はカンボジア企業や人もお金にならない事はあまりやらない事が多いです。なので社会を変える事は難しいです、大変です。でも日本がバリアフリーで制度もあって社会福祉があるのは日本の障害者の皆さんが頑張ったからだと分かりましたので、カンボジアも日本と同じようになるために自立生活支援センターの活動を始めました。
ただ、カンボジアは日本のようにはお金がありませんので、まず最初にお金の話になってしまい、お金がないからと終わってしまいます。でも今日やらなければ明日は変わらない。自分は一人じゃなくいろんな国に仲間がいるので、頑張れるしやりたいと思っています。本当にしんどい時は日本に行って充電します。
– PPCILを立ち上げて9年だそうですが、何か成果は出ましたか?
これと言った大きな成果はまだありませんが、空港やガソリンスタンドなどでバリアフリーが増えてきましたし、区役所などの公共施設でもスロープが増えてきました。何より仲間が増えました。その結果、出かける事も増えました。これは一番大事だと思います。