//移り変わる在住者の様相

移り変わる在住者の様相

 私がカンボジア来た翌年にイオンモール1号店がプノンペンのトンレバサックエリアに開店し、カンボジア国民のみならず在住日本人の生活も大きく変えた。そして当時「イオン前、イオン後」という言葉が頻繁に使われ、「イオンができる前は…」や「イオンができてから…」という話題が多かったように思う。
それはそれだけイオンのカンボジア進出の与えたインパクトの大きさの象徴と言える。

 そしてイオンモールが初進出した2014年から10年近い時が流れた今、「コロナ前、コロナ後」という話題が増え、イオンモール進出当時と同じくらい話題に上がることが多い。

 しかし当時と違うのは、イオンモール進出時は「昔はカンボジアでは食べられなかった物が食べられるようになった」とか「日本食レストランの数が増えた」などポジティブな変化に対する話題が多かったのに対し、新型コロナウィルスの蔓延後は「あの店がなくなった」とか「あと人が帰国した」、「人通りが減った」などネガティブな変化の話題が多い。

 それらはいずれも在住者の様相を変えた。当然といえば当然だがイオンモール進出時は出張者も含め日本人が一気に増え、日本食レストランはどこも日本人客で溢れ、並ばなければ入れない店もあったほどだ。
 そして当時はイオンモールの日系のテナントが集まるイオン会や、同年代が集まった○年会、同じ大学の卒業生が集まる◯門会など多くの会が存在した。さらにイオンモールに出店した日系企業の多くが九州の企業が多かったこともあり、九州県人会が発足するなど各県人会の活動も盛んだった。

 そんなこともあってか、何をやっているのかよく分からない人が少なかったように思う。それは決して怪しいというような悪い意味だけではなく、それだけ日本人同士の交流もあったということだろう。

 ところが新型コロナウィルスが蔓延し、マスクや消毒のみならずロックダウンもあったことで、前述の各会の集まりが開催されることがなくなり、必要以上の交流を避けるようになってしまったことで、何をやっているのかよく分からない人が増えたように思う。
 これは実際にニュースなどにも取り上げられた反社的な人が増えたこともあって、よく分からない人がよけいに怪しく見えてしまい、それがさらに交流を減らすことにも繋がった。

 しかし本来苦しい時ほど助け合いが必要であり、その助け合いの基礎となるものは交流ではないかと思う。
 今まで仲良くしていた人が帰国してしまったりして、そもそも交流の輪が小さくなっているのかもしれないが、なるべく外食してみるとか普段行かないような店に行ってみるとか、飲み会などに誘われた時はなるべく断らないなど身近なところから始めてみると良いかもしれない。
 もちろん日本人としか連むなと言いたいわけではまったくないので、いろいろな国の人たちと仲良くなれそうな機会があればどんどん仲良くなれば良いと思うが、せっかく異国の地でしかもカンボジアではマイノリティな同じ日本人同士なのだから、人間関係が希薄になって知らない人みんなが怪しい人に見えてしまうよりも知らない人もみんな友達の友達と思える方がカンボジア生活が楽しく豊かになっていくのではないだろうか。

 そういえば振り返ってみると各会の幹事ほど帰国する傾向にある気がするのは何なのだろう。