//国の将来を見据えた振る舞いとは

国の将来を見据えた振る舞いとは

 カンボジアでは依然として経済発展が続き、街中では高級車が走るのを見ることも珍しくない。レクサスやメルセデスはもちろん、フェラーリ、ランボルギーニ、ロールスロイスというような超高級車まで頻繁に見かける。自動車輸入税が非常に高額なカンボジアで高級車を購入できるということは、中古自動車の値が下がりにくいという理由があるにしろ、それだけ十分な資産を持っているということだろう。地価の上昇や外国資本の投資によって、富裕層人口は年々増加しており、それに刺激された中間層の消費意欲も高まっている。そんな雰囲気を感じ取れるほど活気に満ちているのが今のプノンペンだ。これだけみれば非常に喜ばしいことだろう。
 しかしカンボジアに住む外国人としてどうしても気になってしまうのが、中間層・富裕層の振る舞いだ。当然、全員が全員というわけではない。海外で教育を受けたという非常に上品な人々にも多く出会ってきたし、今の若い世代は高い語学力を生かし海外からいち早く情報を仕入れ、最先端の文化を自分達にも取り入れようと努力しているように思える。しかしほんの一握りではあるかもしれないが、信じられないような態度で飲食店の店員やセキュリティーの人間に接する人もいるというのも確かだ。
 子供は純粋で善悪の判断を誤ることが多くある。現在の世の中を作るのが我々大人であろうと、未来を作る子供にとって良き見本となることは大人にとって当然の役目である。そんな純粋な彼らの前に誤った振る舞いをする大人がいたらどうだろうか。「お金持ちは傲慢に振る舞うものだ。」そんな誤った記憶を植えつけてしまいはしないだろうか。我々にとっては当たり前のことでも、子供にとっていつも正しい判断をつけるのは簡単ではない。それが力を持った人間の振る舞いであれば尚更だろう。
 子供がお金持ちになることを夢見ることは決して悪いことではない。しかしながら、「お金持ちになれば傲慢に振る舞っても許される」などと誤った動機付けをしてしまっては、どんな手を使ってもお金を手に入れるという極端な思考に偏ってしまいかねない。小さな自尊心を満たすための振る舞いではなく、大きく国の未来を見据えた振る舞い、それが本来力を持った人間に求められる行動ではないだろうか。