「妄想力」。現実的ではなく、単に周りの環境や仕事、生活から逃避する考えというニュアンスがあるだろう。
時間の制約と効率化に追われる現代では、タスクを1つずつこなす事が優先されて自分の満足度や充実感は二の次になりやすい。本当の意味で会社や仕事に対しての愛着ややりがいを見出せる人は少ないだろう。普段の仕事で数字を扱う人は、いかに効率化を図れたかで実績や達成感を得られるが、制作やデザイン、作家など創作系の人にはとても厳しい時代だ。しかしどんな仕事でも着地点を見据えて成功までを妄想する事で、仕事の完成度が格段に高くなる。また、指針があれば途中でブレても修正が効き、選択を迷わなくてすむ。
元々、日本人は目の前の事をしながらその先を見据える力が優れている。だから、戦後の生産業においても従来の技術の模倣だけでなく、自分の理想を見据えてオリジナルを超えるものを生み出してきた。現在の日本は多くの面で世界に対する存在感が薄れ、再生に足踏みしている。しかし国外に出ると、車や電化製品、衣料品、企業の在り方等においてその人気は他国と比べても非常に高い。我々が忘れかけている、理想に近づくための妄想力を今こそ発揮する時ではないか!
例えば、他社と非常に酷似したデザインの車を平気で出すメーカーがあるが、妄想力の乏しさからオーラが全くなく、中身まで同様に面白くない物として映る。プランを妄想するには、その結果だけではなくプロセスも重要なファクターとなる。まず最上級の理想を掲げる事で、完成度を高めるため、オリジナリティや唯一性を求めるための途中経過も一つ一つ気にかかるようになる。そんな視点を持たずに既製品と酷似したものしか作れないのは、デザイナーとしての資質を疑わざるを得ない。特にカンボジアでは、自分のプランを持って進めるには多くのハードルが立ちはだかる。よほど意志が強いか堅実なプロセスがないといけない、妄想力が試される場所なのではないか。
4月に大きな災害に見舞われた熊本の方は、ただ復興するだけではなく、これまで以上により良い街づくりをしたいと言った。元の生活を取り戻す事でさえ大変なのにその先を考える言葉は力強い。建物や生活環境の回復に取り組むだけでなく、非常時にも心の強さや希望を忘れず、震災前の暮らしを上回るための妄想力を持てる被災者の方には、唯々頭の下がる思いだ。