//マニュアルとおもてなし

マニュアルとおもてなし

 先日仕事であるビルを訪れた。そのビルの受付で怒鳴り散らしている日本人たちがいた。そのビルは入館する際にIDやパスポートを提示しないといけないのだが、どうやらその人たちは身分証を何も持っていなかったらしく、受付の人に入館を断られた事に腹を立てたようだ。その為、受付業務が滞り大勢の人が順番待ちをしていた。結果的には受付の人が訪問先の人と連絡を取り、受付まで降りてきてもらう事で決着したのだが、それを見ていた私は「日本人ってこんな感じだったっけ?」と思ってしまった。もちろん人にもよるとは思うが、日本であればいざ知らず海外でここまで傍若無人に振る舞えるんだと逆に関心した。
 恥ずかしながら私も若い頃は我ながらなかなかのクレーマーだったと思う。自分ではそんなにむちゃくちゃな事を言っていたつもりはなく、ただマニュアルに沿った機械的な対応が嫌いで、なんでもっと臨機応変な対応が出来ないのかとクレームを言っていた。マニュアルなんて“おもてなし”の真逆にあるもので日本人の精神に反するくらいに思っていた。
 ところがそんな私でもカンボジアに来てカンボジア人と仕事をしているとマニュアルの大切さを思い知らされた。今でもそればかりではダメだと思っているが、一定の基準を満たす仕事を継続するためにはやはりマニュアルは必要であり、引き継ぎや新人研修のコストを抑える事にも繋がる。その上でそれぞれの裁量の範囲内で出来る限りの個別対応をしていけば良いのではないだろうか。
 今回のケースで、受付の人は入館者にはIDを提示してもらい、持っていなければ入館証を渡せないという規則に沿った対応をしただけで、それ自体は間違いではないだろう。セキュリティ上の観点からそういった決まりである事を考えれば当然である。そんな中で彼らを追い返すのではなく、訪問先の人に連絡を取り、受付まで来てもらうという対応は素晴らしかったと思う。もしかしたらそれさえもマニュアルだったのかもしれないが、カンボジアの明るい未来を感じた。
 日本の「おもてなし」の精神やその評価はそのレベルの高さではなく、いつでも誰でもという平均点の高さ故の評価ではないだろうか。だとすると「おもてなし」はもはや日本の専売特許ではなくなりつつあるのかもしれない。
 誤解を恐れず少し傲慢な事を言わせていただくと、仮に世界中が全員日本人だったら世界はより良くなると思っていたが、そうでもなさそうだなと思えた。