//Win-Win政策20周年記念式典、平和の上にしか築けない繁栄

Win-Win政策20周年記念式典、平和の上にしか築けない繁栄

  昨年12月31日、プノンペンの郊外に新たに完成したWin-Win記念碑にてそのWin-Win政策20 周年を祝う式典が政策の指導者サムダッチ・フンセン首相が参加のもと行われた。式典の中でフ ンセン首相は、政策の実施から今日に到るまでカンボジアが一つの軍事統治のもとに平和を築い たこと、それによって国が繁栄に向けた歩み始めたことを強調した。

1998年、混沌とした時代に終わりを告げたWin-Win政策

 カンボジアは1991年のパリ和平協定によって国連暫定統治機構(UNTAC)の設置が決まり内 戦終結に大きく舵を切った。しかし、依然として国内では4派閥が武力による覇権争いを継続して おり、1993年にUNTACの管理下で行われ第一回国民議会選挙ではポルポト派がボイコットする など、完全な統一を実施するには至らなかった。4派閥のうち特にポルポト派の抵抗は激しく武力 衝突も頻繁に行われていた。そこでフンセン首相と人民党政権の主導で行われたのがポルポト派 への武装解除の働きかけと軍部統制の一元化を目的としたWin-Win政策だった。政策によってポ ルポト派は人民党政権下に取り込まれ、ポルポト派が有していた武力組織も解体された。これに よって1998年カンボジアに統一の軍隊が発足、政府の完全な統治下に置かれた一つの軍事組織に よって国内に安定がもたらされた。

大国に翻弄された歴史に終止符、フンセン首相は欧米による内政干渉を警告

  カンボジアの悲劇は大国のエゴによってもたらされた側面を忘れてはいけない。カンボジア独 立から間もない1970年代、世界はソ連を中心とした共産主義陣営と米国を中心とした自由主義陣 営によって二分されており、東南アジアにおいても両陣営のせめぎ合いは熾烈を極めていた。そ んな時代背景の中でベトナムを舞台とした両陣営の衝突はカンボジアの悲劇の引き金になった。 フンセン首相は式典の演説の中で、米国の犯した二つの過ちについて触れた。一つは米国がカン ボジアを自由主義陣営に加えようとロンノル将軍を使ってクーデターを起こしたこと。二つはポル ポト政権を黙認したことだ。そしてフンセン首相は米国が人権と民主主義を振りかざし再びカン ボジアに混乱を巻き起こすことを望まないと述べ内政への干渉を警告した。

20年目の安定がもたらした平和と繁栄

 ポルポト政権とその後の混乱はカンボジアから全てを奪ったが、1999年の東南アジア諸国連合 (ASEAN)への加入はカンボジアの国際社会復帰の第一歩となった。それからカンボジアは平均 7パーセントを超える経済成長を続け一人当たりの実質GDPは200ドルから1600ドルとなり、年 間貿易額はゼロから2500万ドルへ、観光客数もゼロから600万人となった。現在カンボジアは 2030年までに中所得国入りを、2050年には高所得国入りを目指しいてる。

Win-Win記念碑は全てのカンボジア人のものであり、永遠の平和を誓う場所

 演説の中でフンセン首相はWin-Win記念碑はフンセン首相自身のためにあるものではなく、全 てのカンボジア人のためにあり、祖国のために命を犠牲にして次世代にカンボジアの本当の歴史 を伝えたカンボジア人の英雄全員へ思いをはせる場所になることを望んでいると述べた。そして フンセン首相はカンボジアが多くの派閥による争いの時代を経て今日のように一つにまとまり、 この繁栄が悲しみの時代を持つカンボジアに永遠に続くことを願っているとまとめた。