//終の棲家と決めたのに… 理想と現実の狭間で気がつけばあなたも『困窮』しているかも

終の棲家と決めたのに… 理想と現実の狭間で気がつけばあなたも『困窮』しているかも

活況の海外移住

 

昨今の日本は有効求人倍率も改善し、逆に人手不足とまで言われる様になった。しかし、そんな事お構いなしと世界で就職する所謂『セカ就』が一種のムーブメントとなり、多くの若者が海外に出て社会人生活をスタートさせているという。ここカンボジアにおいても例外ではなく、その潮流に乗った若者が多く訪れている。定着する者、しない者、様々ではあるがそれぞれの選んだ道を突き進む若者に幸多かれと願って止まない。そんな悲喜交交のプノンペン、何も若者だけがやってくるわけではない。終の棲家、この地を人生の終着地点と定めてやってくる人々も少なからずいるのである。このセカ就ならぬ『セカ終』も今カンボジアで注目すべき事柄である。長年東南アジアに居を構えて関連書籍を多数執筆しており、セカ終事情に詳しいクーロン黒沢氏(人生再インストールマガジン・シックスサマナ発行人)は、2000年代始め頃から年金生活者の海外移住生活が徐々に増え始め、東南アジアではタイのバンコクやチェンマイなどで静かに余生を送る高齢者が現れ始めたと語る。そして、近年ではこういった高齢者向けの住宅もできはじめ、年金をあてに自由気ままに老後を送る者も増えているとのことである。

 

理想と現実 気付いてみれば困窮生活

 

ではカンボジアではどうか。概ね同じような状況ではあるが、バンコクやチェンマイなどとは違い、所謂低所得者が多いことが特徴である。それはカンボジアがまだまだ発展の途上にあり、生活費が高くないというのが最大の理由であるが、毎年7%を超える著しい成長と不安定な物価に翻弄されることも多く、安いと思っていたのにいざ生活を始めてみると意外と高くて驚いたという声も多い。もともと常人離れしたギリギリの生活を考えていたのに更に酷い生活をせざるを得ないという高齢者も多く、悲惨な状況に追い込まれている人がいるのも事実である。しかし、困苦に喘ごうとも、元々リタイアした身では何か一から始めると言っても限界があり、生活の改善は難しい。周りの環境に翻弄されるがまま、終わりの時を迎えるしかないのが現状である。なんとも悲しい話である。日本で散々こき使われた挙句にたどり着いた終の棲家。しかしその場所も、所詮は金次第。人生は金。幸せは金で買うしかないのか…という答えの出ない堂々巡りにたどり着いてしまう。

 

一縷(いちる)の望みとなれるか モデルプロジェクト始動

 

そんな困窮し尽くした人々にとって一縷の望みとなるプロジェクトがクラウドファンディング上でスタートし、そしてこの度見事に目標額を達成した。このプロジェクトを立ち上げた本人というのがセカ終事情に詳しい黒沢氏その人でもあるのだが、一体どんなプロジェクトなのか。クラウドファンディングサイト『キャンプファイヤー』を覗いてみると何やら棘々しいタイトルが目に飛び込んできた。「アジアの困窮日本人を魔窟から救い、暗い未来の道しるべとなってもらう」。プノンペンはやはり魔窟なのか…というより、よくこんな内容で審査を通ったな…という愚問はさて置き、早い話が困窮にめげることなく、新しい生き方を創造しようというもの。そして実に興味深いのが、本件をモデルケースとして貧困に喘ぐ人々を救い、今後増えると予想される困窮日本人の松明となろうという結論に達している点である。

事の発端は全盲の困窮アフェリエイター井上さんと、同じく困窮日本人の大家さんとの軋轢から。そして井上さんが大家の元を退っ引きならない理由により退去せざるをえなくなったため、新居への引っ越しとその後の生活の一部にクラウドファンディングで得た資金を使おうというのである。新会社の立ち上げならぬ新生活のスタートアップへのサポートという奇天烈な発想には脱帽だが、「ありといえば、あり」な話とも言える。カンボジア人への支援ばかりが雨後の筍の様に現れるこの国で、あまり知られていない日本人が困窮状態であるという真実を伝えることにも少なからず成功している。実に斬新なプロジェクトである。そして、ウェブサイトの最後を次のような言葉で締めくくっている。「このプロジェクトは、厳しい老後を生き抜くために欠かせない、実践的な知恵を集める重要な試みとなるでしょう。皆さんからの、暖かいご支援をお待ちしています」。プロジェクトは既に実施されており、井上さんは無事に転居した。現在は平穏な生活を送りつつ、困窮日本人の道標となるべく次のステップを踏み出そうとしている。

 

明日は我が身かもしれない 目を背けてはいけない事実

 

プロジェクトでは中高年にフォーカスしているが、困窮問題は全世代に突き付けられた問題と言っても過言ではなく、明日は我が身と、心して向きあうべき問題である。というのも、カンボジアの「少し先の未来」を進む隣国タイ・ベトナムでは給料が万年変わらず、気がつけば現地人の同僚の方が良い生活を送っている、なんていう洒落にならない事態が起こっているからだ。能がなければ生きていけないのはどの国でも同じ。単純労働者で雇われているなら話は別だが、それであれば初めから日本人を雇う必要はない。我々は現地人とは別の何かしらを期待されているわけで、雇い主の期待に答えなければ、日本人だからといって大金をばらまいてくれるほど雇い主も馬鹿ではない。自分の置かれた現実を真摯に見つめ、必要とされる人材でなければ困窮生活は大きな口を開けて待ち構えている。「駄目なら帰る」というのであればそれまでだが、それならはじめからここに来る必要もないわけである。

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