//河野太朗外相がカンボジアを訪問。

河野太朗外相がカンボジアを訪問。

 日本の河野太朗外相が4月8日、プノンペンを訪問した。約6時間の短い滞在ではあったが、国交65周年、国連暫定統治機構(UNTAC)の元で初の国民議会議員選挙が行われてから25年と言う節目にふさわしい訪問だった。河野外相は午前9時過ぎにプノンペンに到着し、首相府にてサムダッチ・フンセン首相、プラク・ソコン外務国際協力相とそれぞれ約一時間の会談を行い、会談後には約92億円の借款を含む2件の資金協力案件に署名した。署名後にはサムダッチ・フンセン首相と昼食をともにした。
 そして、昼食後は日本が初めてPKOに参加したUNTACでの活動中に命を落とした中田厚仁さん、高田晴行警視の慰霊碑を訪れ献花したのち午後4時前、プノンペンを発ち帰路についた。

自由で開かれたインド太平洋戦略への指示と協力案件への署名。

 河野外相はサムダッチ・フンセン首相との会談で自由で開かれたインド太平洋戦略への早い段階での指示に感謝を延べ、サムダッチ・フンセン首相は改めてこれに指示を表明した。会談の後に行われた両国外相間での署名式典では、税関監視艇の贈与に関する書簡の交換及び無償資金協力(経済社会開発計画)(供与額5億円)とプノンペン首都圏送配電網拡張整備計画(フェーズ2)(第二期)の円借款の供与(供与限度額92億1,600万円)の2件について署名が行われた。これら2つの案件はカンボジアの2030年までの高中所得国入りを後押しするために日本が特に重点を置く、物流改善、人材育成、都市機能強化にかかる支援、そして自由で開かれたインド太平洋戦略に合致するものである。

UNTAC下で初の国民議会議員選挙が行われてから25年。自由で公正な選挙の実施とその為の支援。

 UNTAC下で初の国民議会議員選挙が行われてから25年目の今年、カンボジアは5年に一度の選挙を7月29日に控えている。当初、日本とEUが名乗りを上げた選挙支援だったが、昨年の最大野党救国党の解党や、英字新聞カンボジアデイリーの廃刊などをうけて、EUはもはや公正な選挙の実施は難しいとして支援を中止している。くわえて米国もカンボジア外交官のビザの発給を制限する等制裁を行っている。そのような状況の中で、日本の選挙支援のあり方とその是非について少なからず注目が集まっているが、日本は約8億円かけて投票箱を追加供与するなど、現在も支援を継続している。
 このような背景もあり、今回河野外相とサムダッチ・フンセン首相が直接どのようなより取りをおこなったのかに注目が集まったが、河野外相が国民の意思を適切に反映したものになるよう求めたのに対して、サムダッチ・フンセン首相は「自由で公正かつ民意を反映した形にする」と返答した事のみが報道発表を通じて伝えられた。河野外相は日本の選挙支援について記者の質問に答え、選挙の信頼性を高めるためと説明し、「長年、カンボジアを支えてきた友人として、カンボジアが批判されるのは本意ではない。日本として注意深く見守っていきたい」と述べた。

他国とは違う深い関わりを持つカンボジアと日本。

 短い滞在ではあったが、100億円近い資金協力と、選挙支援を置き土産にカンボジアを後にした河野外相の今回の訪問は、カンボジアの国民にとって関心の高い話題の一つであった。カンボジアと日本の関係は近年、中国の台頭に押され気味であり、不用意に危機感を煽る見出しも少なからず目にする。しかし、サムダッチ・フンセン首相が河野外相との会談の際に、4月8日が中田厚仁さん命日であったことに言及し、2名の犠牲を出したUNTACへの貢献に謝意を示したこと、和平から今日に至まで両国の協力関係が緊密である事を評価したことから、カンボジア政府、そして国民の日本に対する信頼感は依然として高い事が伺える。カンボジアと日本には、他国とは違う深い関わりがある事を今一度認識したい。