//新クメール建築の父、ヴァン・モリヴァン氏が死去

新クメール建築の父、ヴァン・モリヴァン氏が死去

波乱の人生に幕を下ろした天才建築家に影響を与えた二人の人物

 新クメール建築の父として、世界的に著名な建築家ヴァン・モリヴァン氏が9月28日の朝、シェムリアップ州の自宅で死去、波乱の生涯に幕を下ろした。91歳だった。
 1926年の11月23日、カンポット州で生まれたモリヴァン氏。建築の専門家が天才と称する彼の生涯はカンボジアの近代史同様波乱に満ちたものだった。モリヴァン氏の生涯には二人の人物が深く関わっている。一人目はフランスのパリ国立高等芸術学校へ留学中に大きな影響を受けた近代建築の巨匠、ル・コルビジェ氏だ。コルビジェ氏は日本を代表した建築家、丹下健三氏をはじめとして世界中の建築家に影響を与えたが、同じ街で建築を勉強していた若きモリヴァン氏もまた直接師事する事は無かったものの、その影響を強く受けた一人だった。後のモリヴァン氏の建築にはコルビジェ氏が進んで取り入れたものと同様の建築手法を見る事が出来る。そしてもう一人彼の生涯に大きな影響を与えたのが1954年にカンボジアをフランス植民地から独立させたノロドム・シハヌーク国王(当時)だった。1956年、独立から二年後のカンボジアに戻ったモリヴァン氏をシハヌーク国王は、公共事業の主任建築家と都市計画・住宅整備局の局長に抜擢。若干30歳で要職に就いたモリヴァン氏はシハヌーク国王の指揮の下で事業に邁進し、1970年にロンノル将軍のクーデターでシハヌーク国王が失脚し、自身もスイスに亡命するまでの14年間で100以上の建築に携わる事となった。

伝統が革新を生んだ新クメール建築

 モリヴァン氏の建築を説明する際に使われるのが「新クメール建築」だ。この新クメール建築はカンボジアの伝統様式である高床式建築などと短時間に局地的に降る大雨など独特の風土を理解した上で近代建築の手法を取り入れ通風や遮熱、排水などに配慮された建築物だ。例えば彼の代表作の1つでもあるオリンピック競技場は雨水の排水に堀を模した水路を使っている。後にこの新クメール建築の元になったモリヴァン氏の設計思想はトラディショナル・サクセション・アーキテクチャ(TSA)と言う造語となって建築の世界で広く知られるようになった。TSAとはその土地の風土と伝統様式を基にしつつ、近代の設計と工法、素材によって作られる模倣建築の事で、モリヴァン作品の多くがこのTSAに乗っ取って作られている。

建築物が持つカンボジアを体現する力。

 プノンペンは近年、大型開発案件が続々と着工し街の景観は日々変貌している。多くのカンボジア国民はその変貌する姿に心躍らせ未来に明るい希望を持っているかもしれない。建築物とは本来 そのようにあるべきであり、今後もこの国の著しい発展を願って止まない。しかしその一方でモリヴァン氏が亡くなられたように、独立当時に活動した多くの先人達はこの世を去りつつある。そして先日取り壊しが終了した集合住宅ホワイトビルディングのように彼らが線を引いた新クメール建築もまた1つまた1つとその姿を消している。
1956年当時、独立間もないカンボジアでシハヌーク国王陛下とモリヴァン氏は白紙の製図板にどんな思いを込めて線を引いていったのだろう。優雅な佇まいのチャトモック・シアターや、威厳と幻想的な雰囲気を併せ持つオリンピック競技場など、そのどれもが新生カンボジアを体現した物ばかりで当時の建築に懸けた情熱を感じる事が出来る。建築物は時に国の顔であり、国を象徴する物である。しかし、残念ながら、近年の開発案件からそれを感じる事は稀であると言わざるを得ない。カンボジアがカンボジアである為に、建築物の持つ表現力を生かして、国民の誰もが誇れるカンボジアを作っていって欲しい。