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ポルポト政権崩壊から40年、式典で誇示する平和と発展

 1月7日、毎年恒例となっている虐殺からの解放記念日を祝う式典がプノンペンのオリンピックスタジアムにて開催された。今年は1979年の政権崩壊から40周年にあたり例年以上に大掛かりな式典となった。
党を代表し演説したフンセン首相は1月7日が国民にとって二番目の誕生日であると述べ、ポルポト政権を崩壊させてから今日に到るまでの成果を改めて強調し、国家と国民が再び分裂する悲劇を繰り返すことがないよう訴えた。

個人の利益のために国家を無視した政治家の野心が生んだ国家の分裂と悲劇

 1953年にシハヌーク国王がフランスからの独立を果たしてから約20年の間、カンボジアは目覚ましい発展を遂げていたが、隣国で勃発したベトナム戦争の影響もあり、シハヌーク国王の求心力は次第に低下していった。そして1970年3月18日にアメリカの支援を受けたロンノル将軍がクーデターで政権を奪取したことで、独立から続いてきた発展の道のりは途絶えた。しかし、アメリカの支援を受けていたロンノル政権も次第に衰退すると台頭したポルポト派に敗れ、1975年4月17日、ポルポト派がプノンペンを占拠そのままポルポト政権が誕生した。政権誕生と同時にカンボジア国民にとって地獄の日々が始まる。地獄の日々はフンセン首相とベトナム軍によってプノンペンが再び陥落するまでの3年6か月間続き、その間に300万人以上のカンボジア国民が処刑や拷問、飢えや病気で亡くなった。この悲しみの出来事をフンセン首相は「カンボジアは塀の無い刑務所だった。個人の利益のために、国家の運命を無視した政治家の野心が国家の分裂を招いた」と述べた。

世界から支援を受ける国から、国際社会の一員として世界に貢献する国へ

 ポルポト政権崩壊から40年、各派閥の武装解除が完了し完全な和解をもたらしたWin-Win政策から20年、カンボジアは国際社会の一員として存在感を示し始めている。GDPは平均7%を超える成長を遂げ、2000年の36億米ドルから今では288億米ドルになり、貧困率も2004年の53%から2014年には13.5%へ低下、現在では10%以下にまで低下したと予想されている。また、国の礎である農業セクターも発展を遂げ、かつては食糧不足から国民の大半が飢餓の危機にさらされたが、今では米の輸出国となり、国際社会において食料の安全保証を担う立場へと変化した。
そして、国際社会の安全保障分野においても、国連の平和維持軍を受け入れる側から世界中で行われている平和維持活動に軍を送り出し平和を維持する側へと回った。

フンセン首相は4つの項目に関して言及

 これからも発展を続けるカンボジアを国民と共に作り出し共に恩恵を享受して行くために、フンセン首相は4つの項目に言及した。

①カンボジアの全領土内において、国民の平和と安定した生活を保護し、如何なる勢力の侵略や破壊からも国家の独立性と主権を守る。

②公共サービスの品質向上を目的としたガバナンスの改革に焦点を当て、あらゆる分野において継続な社会経済の発展を確保すること。また、強力に持続可能で包括的、公平なマクロ経済の成長を確実にする。人的資本への投資に注力し、官民投資を増やす。

③質の高い職業訓練を実施し特に若者の生活環境を改善する。農家の生産を拡大し、生産物の販売拡大を支援する。継続的に、賃金と優位性を高め、労働条件を改善し、雇用を守る。また公務員の給与体系を改善する。定年退職者及び退役軍人の年金を増額する。電力及び水道の安定供給エリアの拡大と料金の低減。

④貧困層及び社会的弱者に対する効果的且つ持続可能な開発と保護の強化を通してそれらの人々が生活の安定と安全を確保すること。

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