現代芸術家 Leang Seckonさん
– まず画家になろうと思ったきっかけについてお聞きしてもよろしいですか?
当然ながらまだ芸術というものが何かは理解していませんでしたが、幼少期より自分の生まれ育った村の自然や建物、そこに住む人々の生活というものを題材にスケッチすることが好きでした。内紛後何をしていこうかと考えた時、幸運なことにthe Royal Academy of Fine Artsで働いている知り合いがいたので、そこで芸術を学ぼうと考えました。なので画家になるというのは自分にとって割と自然な選択だったのかもしれません。私の場合は伝統絵画、現代絵画さらに建築デザインまで学びましたので、卒業するまでに10年かかってしまいました。私が学んでいた当時学校で教鞭をとっていた先生は今とは違って、内紛の影響でかなり高齢の方が多かったです。今芸術の指導に当たっているのは私と同年代の方々が多いです。
– 作品のテーマとして取り上げるものは何が多いですか?
私の作品のテーマとなるのは私自身の人生です。と言っても日々様々な変化が起こり続けているわけで、人生といっても過去だけをテーマに描くことはありません。過去の記憶をテーマにすることもあれば、現代情勢がテーマになることもあります。内紛期間中などこれまで様々なことを経験しましたが、その都度芸術が私を救ってきてくれたと感じています。
世の中には数多くの芸術作品があり、人々の中に怒りを掻き立てるような強いメッセージを持った芸術作品というのも存在しますが、私にとって芸術というものは問題と向き合い、自分を鎮め、心に安静をもたらしてくれるものです。
幼少期の話ですが、私の村に美しい女性がいました。彼女は当時20歳ぐらいだったと記憶しています。とても美しい女性だった彼女をある日見かけると、彼女は頭を丸刈りにし、顔には炭を塗り、男用の服に身を包んでいました。村に軍人が来た際にレイプされないために敢えてそうしていたのです。当然そのことは私に怒りを与え、その後も忌々しい記憶として残りましたが、作品のテーマとして選び記憶と向き合うことで自分の中の怒りを鎮めることが出来ました。私にとって芸術がそのようなものであるが故に、私の作品はそのテーマがどれだけ悲惨で過酷なものであっても、暗いものの中に紛れて美しいものが必ず描かれています。
– 現代アートと政治の関係についてはどのように考えていますか?
現代アートというものは当然のことながら政治と全く無関係なものではないと思います。なぜなら政治というのもは日常のあらゆる場面に存在するものだからです。私自身も政治を題材にすることはありますが、政治的なアーティストという風に呼ばれることは好みません。目に見えるものをそのまま描くのではなく、違う目線角度から物事を描くのが芸術家の役割だと考えています。
– カンボジアにおいて現代アートはどのように受け入れられていると考えていますか?
カンボジアではまだ現代アートへの理解が非常に進んでいるというわけではありません。芸術というものには鑑賞者に教養や作品背景の理解を必要とさせる側面もあります。しかしながら私の作品を見た農村の方々も、「興味深い」というような決してネガティブではないコメントをしてくれます。
– カンボジアの若いアーティストには何を期待されますか?
彼らのうちの多くが芸術を非常によく勉強し、我々世代の作品に対してもリスペクトを示してくれています。私が彼らに望むことは1つだけです。それはいかにオリジナルな存在になるか、オリジナルな作品を残すかということです。
【Profile】
1970年、アメリカによるインドシナへの空爆期間中にPrey Veng州に産まれ、幼少期に内戦を経験する。内戦を直接経験した数少ない芸術家の1人として現在も精力的に活動中。2002年にthe Royal Academy of Fine Artsを卒業した後、現在までに香港、福岡、ロンドン、ニューヨークなど世界各地で展示会を開催。