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様々な隔たりを突破する、自己発信と相互理解

 日本でよく「ぼっち席」という、一人で気兼ねなく気疲れしない食事や空間を楽しむ人が多くいる。仕切りのついた席で食べたり、部屋の中でテントを張って過ごしたりするなんて、私の世代では考えられない事だ。昨今、顔を合わせなくてもインターネット上でコミュニケーションが完結できてしまう事が実生活にも影響を及ぼし、人と関わりをセーブする傾向が見られ始めていると思う。
 海外に出ると、「ぼっち席」どころか自己発信をしなければあっという間に行き詰まり、自分の居場所さえなくなってしまう。どうしても誰かと接点を持たなければ、生活や仕事も途端にできなくなる。1回の電話、交通手段にもいちいちハードルがあるのだ。食事も、日本だったらフラっとあてどなく、お腹とお金に相談さえすれば事足りるのにそれができない。言い方を変えれば、1つ1つを考えないといけないという環境に疲れてしまう事もあるが、身の置かれている現状ではしかたない事である。日本人という小さな枠の世界と比べると煩わしくもあり、自分を試される良い機会でもある。そういう日々を送る中で、自分が何をしたいのか自分自身の考えを発信する事が自分の存在と相手とのコミュニケーションとなり、相互理解が得られる。
 その点、複数の言語を使い分けられるカンボジアの人達は、物怖じせずにコミュニケーションをはかれる。頼もしくもあり、自分の不甲斐なさを痛切に感じる。ただでさえおとなしい日本人は、自分をアピールする事が苦手だ。普段なら何とかなっても、病院に行く時でも笑いながら英語で話すカンボジアの人達を尻目におどおどするばかりで、自分の身体のコンディションさえ伝えられない事にイライラする。しかし、言葉が全てではなく、あとはボディランゲージだ。「痛い、辛い」を身振り手振りで必死に説明すれば、それがお互いの緊張をほぐして少しの笑いも生ませる。
 国が違うという大きな隔たりがある中、ビジネスにおいても細かな事が後で大きな誤解や手痛い出費に繋がりかねない。それも自分が必死になって補い、一つの事柄を倍も3倍も説明して相手に納得して貰う術を持てば、ヘトヘトにはなるがきっと「ぼっち席」の ぼ の字も出て来なくなるはずだ。決して、一人の空間が寂しいとか軟弱であるという事ではない。一歩外に出ると自分自身を知らしめる事が大切な場面が多々あり、それが日常的にできていないと後悔もする。人付き合いの楽しみを自ら遮断するのはもったいない、という事である。それに、自分が思うほど人は他人を見ていない。もし、隣にいる人と運命の出会いが用意されていたらと考えると、それこそもったいない!

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