ある休日の日の朝、コーヒーを飲みながらYouTubeを見ていた時にふっと自分のまったりした状況に気付くと罪悪感が芽生えた。
昔からそうだ。いつからこうなったのか覚えてないが、仕事を忘れ休日を過ごす事がどうも苦手で、何かやらなきゃと強迫観念に囚われる。
またいつもの妄想の話になるが、いつか結婚して家族を持った時にしっかり家族サービスできるのだろうかなどいらぬ取り越し苦労ばかりしてしまう。
思い起こせば初めてまともに働いた会社から始まっているのかもしれない。当時の上司に「仕事をしていれば親の死に目に会えないこともあるから覚悟しておけ」と教わった。今なら完全なブラック企業だろう。親の死に目に会えない仕事ってどんな仕事だよ。と今なら思うが、当時は何の疑問も違和感もなくそんなもんだと受け入れていた。
ちょうど当時サッカー日本代表のジーコ監督の母親が亡くなり、数日後に親善試合とはいえアルゼンチン戦を控えていたが、ブラジルに帰国したというニュースを見て、日本代表の監督はそんなに甘いのかと思ったほどである。さらには2年間1度も休まずに働いていた時期もある。別に休みが欲しいとも思わなかった。洗濯や掃除などが出来る時間さえあればあとはほとんどの時間を会社で過ごした。
別に休めないほど忙しかった訳ではなかったが、働き続けて半年を過ぎた頃からこのまま1年働き続けられるかもと思い始め、実際に1年間経つと今度はせっかく1年も休まず働いたのに特別な理由なく休む事がもったいなく思うようになり、結果さらに1年後の妹の結婚式で帰郷する為に休むまで合計2年間休まず働いた。
流石に今ではそんな事はないが、前述の通り自分自身が仕事を休む事に対する抵抗感はいまだに残っている。別に仕事をする事が苦でもないし、むしろ休むと生活のリズムが崩れるので1日まったく仕事をしない日はない。現に今も日曜日の午前中にこうして原稿を書いている。別に期日が迫っている訳ではないので明日でもじゅうぶん間に合うのだが、こうして平日と変わらない生活が一番落ち着く。
そもそも仕事に対して責任感は感じても義務感を感じた事はない。どちらかと言えば趣味の延長に近い。なのでよく言われる「サザエさん症候群」などなった事がない。「サザエさん症候群」を知らない人の為に簡単に説明すると、「サザエさん」が日曜の終わりの代名詞となっており、「サザエさん」を見ると翌日から通学、通勤をしなければならない現実に直面し憂鬱になってしまう症状の俗称である。
人それぞれ価値観や考え方が違うので、自分の考えが正しいとは思っていないが、人生の決して少なくない時間を費やす仕事が億劫だとすると、その人生は何とも侘しい人生ではないだろうか。
そのためカンボジアに来て初めてカンボジア人の面接をした時に、休みの主張から始まると「働きたくて来たんじゃないの?休みたいの?」とやる気がないと思ってしまっていた。
そんな自分も今ではFacebookなどで家族と有意義な休日を過ごしている人たちを目にすると正直羨ましく思う。当面は仕事とプライベートの両方の充実を目標に頑張ろと思う。