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言葉と文化 相国の協力社会が新しいカンボジアの先駆けとなる

「英語を話せる」という事の重要性
 弊紙を創刊してから、何回もジレンマと志の弱さを感じる事がある。
それは、英語が話せない事だ。
相手とのコミュニケーションや商談の時も、英語というツールを持ち合わせていないために大事な場面で度々もどかしい思いをする。
性格からして「わからないから」と静かにする訳もなく、知り得る限りの単語を使って話に割って入り、ダンボ並に耳をそばだてて聴きまくる。しかし、所詮わずかな知識ではかえって邪魔をするか、相手から「わかるのならどうして話さないのか」と言われるのがオチで、悔しい思いを繰り返す。決して話せないのを良しとする訳ではなく、あれこれチャレンジしてきたのだが寄る年波には勝てないのだ。集中力と記憶力の限界が若い時の半分もなく、穴のあいた風船のように抜けていく感じだ。
 と、ここで何時までも自分の不甲斐なさを語ってもしかたがない。つまりは、
カンボジアの若い人達の語学に対する勤勉さには驚かされるという事だ。
先日入社した男性スタッフは独学で勉強し、流暢な日本語を話す。
彼らにとって他言語を話す能力は収入に直結するので、真剣勝負そのものだ。当たり前に学べて様々なチョイスができる日本と違い、就学のためにそれ以外を仕事に当て、寝る間も惜しんで学ぶ環境の彼らには脱帽するしかない。
 ただ惜しい事に、その他のお金にならない事は学業ほど熱心ではないのだ。
道徳やルール、心構えのようなソフト面が足りない。その辺りの教育がないからとはいえ、それをどうクリアするかが課題であり、我々企業にとってもキーワードとなる。
交通ルール遵守の大切さを説き、街を綺麗にしたら犯罪が減る等の道徳教育もしなければならない。そんな訳で、私が彼らから学ぶべき必死さと彼らが学ぶべき事を、お互いに認識する必要がある。そして話し合い、学び合って日々努力する事で、英語の上達もあるかと誤魔化しつつ、今月のページとする。

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