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社会の成長と自身の成長

 先日アメリカ人カップルと知り合い食事を共にした。彼の方はITエンジニアでタイや日本などアジアを転々としながら仕事をしているらしく、その一つとしてカンボジアを訪れたらしい。
 私の持つ日本人エンジニアのイメージは大げさに言えば常にバグに怯えながら納期に追われているイメージである。しかし目の前にいるアメリカ人エンジニアはまったくそんな素振りはなく、正反対の生活をしており、見た目もモヒカンにタトゥーという日本では考えられない出で立ちでカルチャーショックを受けた。
 基本的に日本とアメリカとではエンジニアの社会的地位が違い、併せて収入も違うらしい。
 こうしてカンボジアで生活していると職種による給与格差を見聞きする事がある。カンボジア人はその高給の仕事につくために大学卒業後や就職後でも学校へ通うなど将来への投資に余念がない。
 乱立するインターナショナルスクールの数を見ても分かる通りカンボジアで仕事をしようと思うと英語は最低限のスキルと言える。日本で一部を除けば他の言語スキルを要求される事はほぼないが、国際色豊かなカンボジアのビジネスシーンでは英語以外にも日本語や中国語のスキルを必要とする事もあり、その上さらにそれぞれの分野の専門的な知識が必要となる。
 しかしどれだけ勉強しても実際に社会に出て仕事をするとなるとまた別のスキルを必要とする事があることも分かってほしい。これはカンボジアに限らず日本でもよく見かけるが、知識ばかり豊富な頭でっかちになってしまい、入社早々早くも頭打ちになってしまうパターンである。
 以前に日本の元某IT会社社長が寿司職人が何年も修行するのはバカと発言し物議を醸した。私自身はどちらかと言えば何年も修行をしてきた側であり未だに修行中だと思っているし修行するのはバカだとは思わない。その先に何を目指すのか次第ではないかと思う。
 例えば自分の一番おいしいと思うお寿司屋さんがあり、自分もその店のようなお寿司を握れるようになりたいのであれば、そこの店で修行する事が何年かかろうが一番の近道ではないだろうか。しかしその反対に今までに食べたことのないお寿司を提供したく、実際それが握れるようになれば何年も修行する必要はないだろう。
 自分が思い描く将来像から逆算し、今の自分が何をするべきなのか判断すれば良いと思う。つまり大事なのはどれだけ具体的な将来像を思い描けるかではないだろうか。
 一生懸命勉強し、良い会社に就職し、良い給与を得られるようになったとしても、果たしてそこがゴールだろうか?会社の業績、本人の成績によってはそこで働きづけられる保証は何もない。
 なぜなら同じように努力している人はいくらでもおり、自分以上に努力している人も大勢いるため、決して自分だけが特別ではない事を思い知らされる。また、上司や部下、同僚、取引先や顧客など少なからず人と関わっていかなければならないため、相性で左右される事もある。
 プロスポーツ選手がプロになってからも練習を続け、それでもチームメイトや監督によって自身の能力が活かされたり殺されたりするのと同じである。
 だからこそ社会に出てからが本当のスタートであり、そこからの成長の伸び代の方が大事である事を知って頂きたい。
 聡明なる読者の皆様には釈迦に説法だが、カンボジアの未来を担う若者たちへ老婆心ながら期待を込めて。

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