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カンボジアの未来へ。結果だけではなく、プロセスから学ぶもの

 ここで度々カンボジアと日本の違いを述べたが、日々仕事で出会う人やスタッフ等と葛藤しながら進んで来て、最近特に感じる事がある。カンボジアは抽象的に昭和40年代相当とか、20年後にはASEAN諸国でもトップクラスだとか言われ、続々と企業や投資といったものが大挙して押し寄せてきているが、日本の高度成長期とは大きく違う道を歩んでいる。
 日本は、大戦という不幸から立ち直り、オリンピック開催によって国土・インフラの整備が一気に進んだ。産業も他国の真似から、より高度で精密なものを作り出すようになり、オリジナルを凌ぐ製品が世界でも認められるまでに進化していった。日本総中流家庭という言葉があるように、国内の格差を感じることなく成長を遂げた。タイミングの影響も大きいが、今日より明日をもっと便利にという向上心も強かった。
 次にカンボジアに目を向けてみる。この国は苦難の時代に当時の人口約800万人の内の約200万人、知識人の6割以上が虐殺されたとされている。その時代の人がスッポリ抜け落ちてしまう形になったが、痛ましく苦しい時代を並々ならぬ努力をして立ち直ったのは周知の事実である。しかし、教育や文化といったソフト面まで手が回る時間も無く、現在も様々な場面で温度差を感じる。街を見ると次々とコンドミニアムが建ち、高級車が走って成長著しく見えるが、交通ルールは守られず、工事現場では道に資材が転がり、渋滞時でもお構いなしで道を塞いで作業をしている。ポテンシャルは高いのに、自分の中で線を引いてしまってもう一歩踏み込まない。首を傾げてしまうような光景があちこちにありながら、それを良しとしているのを見ると歯痒いばかりだ。
 もう一つ、途中で失われた時代から一つずつ進化した日本と違い、ここでは「あるから使う」という即物的な考えしかない。携帯電話を例に挙げると、初期の重いタイプを背負うところから少しずつ小型化し、機能を充実させていくというプロセスがあった。対して、いきなり小型の携帯電話を使い始めたカンボジアの人達にはそれが無く、今の利便性や逆に行き過ぎた機能、高い価格に対して何の違和感も持たない。しかし、かつて高度な文明でもってアンコールワットを築き上げたように、この国のポテンシャルは高いはずだ。現在の高度なものを使いこなす能力とともにそのプロセスも学べば、より濃密な発展を遂げられるはずだと考えている。

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