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カンボジアでセンシュアルを追い求めて

 先日、とある女性医師とお話する機会があった。
その先生は皮膚科専門医で長年パリに住んでおられた方で、この度カンボジアに居を構えられる事になったそうだ。
 第一印象はとても可愛い方だった。大人の女性に対して可愛いは失礼なのかもしれないが、私の感覚では可愛いという言葉がとてもよく当てはまる印象だった。
 その際にその先生が執筆された本を頂き読ませて頂いたのだが、カンボジアの感覚に慣れ切った私にとっては刺激が強すぎるくらいの内容ので、主に「センシュアル」を提唱している。
 「センシュアル」とは何か?先生はその著書の中で「都会的な環境で研ぎ澄まされたエレガントな野生」と定義している。
 これだけ聞いても何のことかさっぱり分からないと思うが、何となく雰囲気で普段のカンボジア生活からは程遠い気がしてしまう。
 より分かりやすく日本語に置き換えると「粋」ではないかと述べており、この「粋」のベースには「躾」があるとも述べている。躾とは単なるトレーニング要素だけではなく、身だしなみや身のこなしといった事も含まれ、特に身だしなみという部分において、カンボジアという環境は暑さ、ほこり、雨などどうしても利便性を優先したくなってしまい、Tシャツ、短パンにビーサンが常習化してしまう。日本の夏は日によってはカンボジアよりも暑い日もあるにも関わらず、ビーサンで出かける事はなかった。
 今回私がこの方とこの方の著書をご紹介しようと思ったところはまさにこの点である。
 躾とはその国の文化や価値観が多分に影響している反面、国際社会におけるマナーはそれと異なることもある。しかし共通する事は自分自身のためではなく周りの人、パーティーであればホストや同伴している女性に対しての礼儀という事だろう。少なくとも不快にさせない程度の配慮は必要である。
 しかしカンボジアでそのような配慮が出来ている人はどれだけいるだろうか。これは正装していれば良いという事ではない。たとえスーツを着ていたとしても、そのスーツが皺くちゃだったり、汗だくなのにハンカチやタオルすら持っていないと、相手を不快にさせてしまう。
 全てを完璧にこなす事は難しいが、大事な事は清潔感があるかないかではないだろうか。先生も著書の中でこのように述べている。「ツメが甘い、とはよく言ったもので、一見素敵な男性、でも爪の先が黒く汚れていたら?~中略~中高年になりますと、これらのツメの甘さは見逃してもらえません。」要するに同じ髪型が乱れていたとして、寝癖のままの乱れなのか、一日仕事をした後の自然な乱れなのかはまったく別物という事だろう。
 確かにそう考えて自分の周りを見渡してみると、自分が尊敬する先輩方はみな清潔感があり、暑い国なのにどこか涼し気である。やはりこうしてしっかり出来ている人がいる以上、カンボジアだから雨だからというのは言い訳でしかないのかもしれない。
 実際、先生の本を読んだ後に我が身を振り返ってみると、恥ずかしいと思う事がたくさんある。次にその先生と会う時までに、恥ずかしくない自分でいようと思う。

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