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アジア諸国でのカンボジアの役割 未来への新しいスタンダードの構築へ

 日本は桜が咲き綻び、気持ちも新たに新しい年度を迎えている頃だろう。長年そんな生活をしていると、日本を離れても身体のサイクルがそれを求め、妙に桜を見たくなる衝動に駆られる。東日本大震災から4年、復興とまだ癒されぬ爪痕をテレビの特集で観るたびに、鎮魂の思いを馳せる。何もできない自分はせめて今を精一杯頑張ろうと、復興特集と桜に気持ちをクロスさせている。皆が一日も早く、心を癒やすだけでなく希望と期待を持った清々しい気持ちで桜を見られるようになることを願わずにはいられない。
 ところで、何故『サクラ』と呼ぶのだろうと、名前の起源を紐解いてみた。〔サ〕は神様を表し、その神様が山から降りてきて座る、〔クラ〕とする木という意味でサクラという風に名が付いたと聞き及んだ。また、季節や旬を大事にするのは単に四季があるからだろうかとこの点も探ってみると、その習慣は平安時代にさかのぼる。和歌には、春夏秋冬の趣が深く意味のある言葉として用いられていた。江戸時代には「旬」の概念が俳句に活かされ、季語として食べ物の名称も盛り込まれるようになった。初物を頂くことで、75日長生きができるという言い伝えもある。旬の力強い生命力が身体にとっても珍重されることから、季節の訪れに敏感になったのではないかとする意見が多い。

 そんな繊細な気持ちを持つ日本人の素晴らしさを紹介する記事があった。中国からの観光旅行バスのドライバーさんの話で、荷物をいち早くバスに積み込んで乗客を待たせることなく迎える。スーツケース内に忘れ物があればほぼ全ての荷物を下ろし、乗客にお待たせしたことを詫びて笑顔で手渡す。荷物を取りにバスへ戻ろうとすると、木陰で休んでいたドライバーさんが猛ダッシュで走ってきてドアを開けてくれる。炎天下、エアコンを付けて車内で休むこともできるのに、一人の為にガソリンを使うのは勿体ないと、また日陰で汗を拭きながら乗客の動向を見守る。こんな心遣いや仕事に対してのプロ意識を持つ日本人が、当たり前のように周りで毎日仕事をこなしているのだ。それは国内にいるとわからないものだが、いざ日本を離れこんな記事を目にすると、改めて日本人の良さを知ることになる。
 日本人の持つ心の豊かさや優しさ・思いやりといった素晴らしい感情は、桜のように淡く端正で他者の心を和ませるものであると思う。そんな日本人の良さをカンボジアの人達に伝えきれないもどかしさを日々感じている。彼らとそのような心のやりとりもせず賃金だけで結びつけている人を見ると、いつか自分たちの居場所が無くなるぞ!と思いつつ、溜め息をつくしかできない我が身の力不足を反省している。レクサスが好き、焼き肉大好き、日本人を真似たがる親日家のカンボジア人達には、何かを作る技術はもとよりそれを目指す気持ちと達成感をも教えていかなければならない。そうでないと、技術は彼等にとって所詮作るためのツールで終わってしまう。技術が優れていることを尊敬されたり同朋と認められたりしたければ、日本人側も相当の努力が必要になる。カンボジアでの投資詐欺や、法人登記の条件を満たさない「不法法人」等もってのほかで、我々も見て見ぬ振りはせずに排除する手立てを講じなければより多くのカンボジアの人達の人望は得られない。

 これからASEAN統合を初めとして、様々なものが国境を越え動き出していく。隣国タイも高速鉄道の開通を目指して今秋から建設が始まるし、ハノイにも日系大手物流会社が進出する予定だ。日本政府もインドシナ物流の可能性を探り、各国縦断における時間・入国審査・商品の状態等をテストしていて、インドシナ諸国のクロスボーダーは加速する一方である。人の考え方も環境も同様に入ってくると、今までのように「この国は」という言葉すら通じなくなるのは必至で、それにおいても我々が率先して相互理解や環境の橋渡しをしなければならないと思う。
 カンボジアは、自国のみならずASEAN諸国にとっても今年がまさに新年度となりうるような、大きな一歩を踏み出すこととなる。
そこで仕事をする我々は、日本人学校が開校して新入学の子ども達を見守れるということで気持ちも和み、彼らの成長から季節を感じていくだろう。この子達が当たり前のように英語を使い、今日はプノンペン、明日はヨーロッパというようにグローバルな仕事をする時代がやってくるのが楽しみだ。

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